2008年10月24日
怒りは醜い行為で、許しは寛大な行為?
最近、いや、ずっと前から僕はそうなんですが、些細なことで他人に対して怒ったり、
イライラしたり、対立したりと、駄目っぷりを存分に発揮しています(^_^;)

絶対許さん!
どうしても許せない!
顔も見たくない!
理解し難い!
人間なら、こんな感情を頂くことは誰にもあると思います。
だだ、人間とは気まぐれなもので、
激怒したり、考えを否定することもあるけど、一転、許したり認めたりすることもありますね。
そろそろ許してやるか。
もう過去のことは水に流してやる。
酷いと、5分前に怒っていた人が、5分後に笑っていたりね(^_^;)
一見、許すっていうと、怒りの感情のそれと比較すれば、とても素敵で寛大な行為に
も思いますが、許す=寛大なんて単純なものかと思うこともあります。
なにげに許すって言うけれど、これって、誰が誰に対して許すの?
自分で勝手に怒っておいて、自分で勝手に許してる訳で...
許すって!言うけど、お前は何様?神様気取りかよってね(笑)
こう考えると、許すとは、見方によっては、かなり横柄で自己中な行為にも思えます。
怒りは醜い行為だが、許しは寛大な行為…
僕は、今まで、そう思ってきましたが、結局はどちらも大差ない行為かなって。
極論ですが“許し”と“怒り”はセットでしか成立しない。
そもそも怒らなければ許す必要も無いわけで…
もちろん、愛する肉親や家族を傷付けられたとか、人間の尊厳を土足で踏みにじられたとか、
そういった場合には憎悪の怒りに震えるのは人間として当然だと思うのですが、僕達は、
本来怒る必要のない、日常のほんの些細なことまで無駄に怒っているような気がするのです。
怒ったり否定した挙句、それによって何か問題が解決し、事態が好転したといった記憶は僕に
は殆どありません。それどころか、大抵は事態は悪化し、泥沼化、そして例えば、嫁さんが「実
家に帰る!」なんて最悪の事態に(笑)
無駄なエネルギーを使って激怒したり、相手を完全否定したのに、でも、ある日突然、なんとなく、
相手の考え方を許したり、認めても良いかなって気になって「自分は相手より寛大な人間だ~ぁ」
なんて勘違いすることがないようにしたいのですが、理想は理想なので、なかなかね…
今の僕には、どうしたら怒りを自制出来るのか、多様な価値観を認め独善的な考えから脱せるの
か、それは分からないけど、人に怒り、否定してみせて、そんな風に相手に刃を向けるエネルギ
ーが有るのなら、人の事を偉そうに批評している自分はどうなんだ?自分は果たして正しいのか?
と、まずは自分に刃を向けてみることも必要かもしれません。
でも答えは見つかりません…
僕に見つけられる訳がないのですが、
諦めないで自答し続けることが大事かもしれません(^_^;)
Posted by トランクマ at 21:04│Comments(0)
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